北杜市の文化財紹介(6)~(10)

  1. (6)国指定天然記念物 根古屋神社の大ケヤキ
  2. (7)国指定史跡 谷戸城跡
  3. (8)市指定史跡 中山砦
  4. (9)山梨県指定文化財 顔面把手付深鉢
  5. (10)山梨県指定有形文化財(考古資料) 上北田遺跡出土品

(6)国指定天然記念物 根古屋神社の大ケヤキ

所在地 須玉町江草5336
指定年月日 昭和33年5月15日
掲載:広報ほくと2005 7月号 No.9 p.16

根古屋神社の大ケヤキ1

須玉町江草の根古屋神社の境内に二本の巨大なケヤキの木があります。巨大な転石と神社の建物に囲まれ、いかにも窮屈そうですが、圧倒的な存在感を放っています。これらの木は、神社の拝殿に向かって左が田木、右が畑木と呼ばれ、古くから人々に親しまれてきました。
田木の幹周は10.1m、畑木の幹周は11.9mを測り、樹齢は共に七百から八百年と言われる老木です。また、巨樹故に過去幾多の風雨による被害を受け、昭和58年、平成11~13年度には大規模な樹勢回復工事が実施され現在の姿となりました。


根古屋神社の大ケヤキ2

名前の由来は、田木の芽吹きや葉の繁りの良い年は水田の稲作が豊作となり、畑木の方が良い年は畑作物の方が豊作となるという言い伝えによるものです。ちなみに今年は稲作が豊作となりそうだということです。
このケヤキのある根古屋神社の春の例祭は5月3日です。若葉の美しい中に神楽の囃子が響き、人々の思いが伝わります。このケヤキは農業に専念してきたこの地方の人々にとって、大切な占いと信仰の対象であったのです。


(7)国指定史跡 谷戸城跡

所在地 大泉町谷戸字城山
アクセス 大泉総合支所の南約500mにある小高い山です。
指定年月日 平成5年11月29日
掲載:広報ほくと2005 9月号 No.11 p.17

谷戸城跡

今回紹介する史跡谷戸城跡は逸見清光(1110~1168)の居城であったとの伝承が残る城跡です。清光は武家の名門武田氏の祖であり、その居城とされる谷戸城は「武田氏の発展過程を具体的に跡づけることができる重要な城跡」ということで国の史跡に指定されました。清光は武田氏のほか、逸見、加賀美、小笠原といった武家を代表する氏族の祖ともなっています。


史跡公園

治承4年(1180)、平家追討に立ち上がった源頼朝の使者北条時政は逸見山で武田信義(清光の嫡男)らと会い、甲斐源氏一党に頼朝への加勢を求めます。この逸見山が谷戸城と考えられており、石和で再度加勢の要請を受けた信義らは都に向けて進撃を開始し、甲斐源氏が歴史の表舞台に登場します。
南北260m、東西300m、周りより30mほど高い小山に城は築かれており、今でも土塁・空堀がきれいに残っています。最近の発掘調査では、14~15世紀にも城が使われていたことが分かってきました。今見られる土塁や空堀もこの頃のものと考えられ、土塁に囲まれた山の頂上に立つと、当時の武士たちの緊張が伝わってくるようです。


現在、史跡公園として開放しています。皆さんも蘇った谷戸城の姿をご覧下さい。

(8)市指定史跡 中山砦

所在地 武川町三吹および白州町白須地内
アクセス 萬休院の西2.kmの中山山頂
指定年月日 昭和62年3月2日
掲載:広報ほくと2005 11月号 No.13 p.15

中山砦

中山は釜無川、尾白川、大武川に挟まれた標高887mの独立した山です。中山砦はその山頂に築かれており、今でも土塁や空堀がきれいに残っています。周辺集落との比高差は200m以上あり、山頂からは八ヶ岳南麓、塩川流域のほか諏訪口や甲府盆地まで望めます。砦はその眺望の良さを活かして烽火台としても使われたといわれています。
中山砦を本拠としたのは武川衆と呼ばれた地域武士集団でした。彼らは周辺の山高、白須、牧原、柳沢などに居住し、その地名を姓としました。彼らが歴史の表舞台に登場するのは武田氏の滅亡後、徳川氏と北条氏が甲斐国の領有を巡って激しく争った時でした。いち早く徳川方についた武川衆は中山砦を守り、花水坂で北条方の間者を討ち取りました。彼らはその勲功により家康の厚い信頼を得て、以後徳川家に重く用いられました。


中山砦の位置

(9)山梨県指定文化財 顔面把手付深鉢

掲載:広報ほくと2011年 3月号 p20
顔面把手付深鉢(がんめんとってつきふかばち)

顔面把手付深鉢

この土器は、須玉町の旧津金小学校の南にある津金御所前遺跡で昭和56年に行われた発掘調査の際、縄文時代中期の住居跡から発見されました。復元高は56cmです。
土器の口縁につけられた顔面把手と、土器本体に描かれた人体のような文様と人面文様は、今まさに子供が生まれ出る瞬間を表現していると考えられています。
この土器は日本を代表する原始美術として国内外で高い評価を受けています。しかし、発見後の復元から約30年が経過し、石膏や接着剤が劣化して破損が心配される状態になったことから、平成21年に修復しました。
修復作業では、土器を解体して古い接着剤や石膏を除去し、樹脂を土器断面に塗って保護しながら復元し、土器が欠けている部分は樹脂で補填しました。土器の形や文様は、現存する土器破片から推測して復元しています。
修復以前とは、土器の形や細かな文様に若干の変更が生じていますが、縄文時代の精神文化を今に伝える顔面把手付深鉢の価値が、改めて確認されました。貸出時以外は、大泉町の北杜市考古資料館に展示されています。


(10)山梨県指定有形文化財(考古資料) 上北田遺跡出土品

掲載:広報ほくと2006 2月号 No.16 p.19

北杜市白州町に所在する上北田遺跡の出土品が平成17年12月26日付けで山梨県指定文化財となりました。
上北田遺跡は平成3年度に県営圃場整備事業に伴い発掘調査された集落跡で、縄文時代前期前半の竪穴住居跡22軒、平安時代の竪穴住居跡3軒、掘立柱建物跡2棟などが調査されました。
今回指定を受けたのは18号住居跡からの出土品を中心とする縄文時代前期前半の土器、石器など53点です。
この遺跡では土器は主に長野県に分布する尖底(土器の底がとがっていて不安定なものです)のものを主体として、わずかに東海地方、関東地方に分布するものが出土しています。また、石器も長野県の同時期の遺跡に特徴的に見られる固定式石皿と呼ばれる大型で扁平な石器や、打製石垂と呼ばれる特徴的な石器があります。
これらの資料から、これまであまり知られていなかった当該時期のこの地域の姿が浮き彫りになりました。

上北田遺跡出土品1上北田遺跡出土品2

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