風林火山館は閉館しました(一般公開終了)

1、武田氏にゆかりのある歴史名所 北杜市内

三分一湧水(長坂町) ≫紹介ページ 三分一湧水

■所在地:北杜市長坂町小荒間292-1 ボタン グーグルマップへリンクします。
 戦国時代の頃に、三つの村に農業用水を等分するために造られたかんがい用施設で、これが「三分一」の名前の由来です。 武田信玄の発案で造られたと言われていますが真偽のほどは定かではありません。1985年には「日本名水百選」に指定されました。 しかし、農業用水なので飲用には適していません。 公園として整備されおり、「三分一湧水館」(電話0551-32-0058)や「そば処三分一」(電話0551-32-8318)・農産物直売所が併設されておりますのでご休憩・お食事にお立ち寄りいただけます。

小荒間古戦場跡 (長坂町)

■所在地:北杜市長坂町小荒間1964 JR小海線甲斐小泉駅近く。 ボタン 地図へリンクします。
 小荒間古戦場跡(案内板)JR小海線甲斐小泉駅近く。天文9年(1540)に信濃の村上義清の軍勢3,500余りの兵が小荒間に押し寄せてきたとき、武田信玄は即時出陣しこの地で合戦を繰り広げて勝利を得たと伝えられていますが、定かではありません。 周辺には「中屋敷」と呼ばれる信玄が本陣を敷いたとされる跡や、敵をうかがうために用いたと伝えられる「遠見石」などが残されています。 (右画像は案内板)

棒 道 (須玉町・長坂町・大泉町・小淵沢町)

■所在地:北杜市長坂町小荒間 ボタン 地図へリンクします。
上の棒道と石仏 棒道は武田信玄が甲州から信州を結んで拓いた道で、信濃攻略のため進軍や物資輸送に利用されました。 軍用として用いる以前に存在していたという説もあります。3つの棒道が造られましたが、これは「上の棒道」と呼ばれている道です。道沿いには5キロ間隔に36体ほどの石仏(観音様)があり、今は、自然散策路となっています。

小荒間番所跡

■所在地:北杜市長坂町小荒間729 ボタン グーグルマップへリンクします。
長坂町方面から県道609号(小荒間‐長坂停車場線)を風林火山館へ向かってゆく途中、JR小海線甲斐小泉駅前の道との交差点近く。 戦国時代に武田氏が設置したと言われています。 甲州に25ヶ所置かれた口留番所の一つ。警備には、小荒間村・白井沢村・松向村(現北杜市小淵沢町)の3村が当ったと言われる。

清光寺(長坂町) 

■所在地:山梨県北杜市長坂町大八田6600 ボタン グーグルマップへリンクします。
 逸見黒源太清光(クロゲンタキヨミツ)が創建した天台宗の寺院で、清光の菩提寺です。 清光は甲斐源氏の始祖と言われる新羅三郎義光(シンラサブロウヨシミツ)の孫にあたり、谷戸城を築いたことでも知られる。 長坂駅から北東に1km、中央道長坂IC方面へゆく途中(キッツ工場付近)にあります。

正覚寺(ショウカクジ:須玉町)

■所在地:北杜市須玉町若神子2739 ボタン グーグルマップへリンクします。
正覚寺の山門源義光公(新羅三郎義光)の菩提を弔うために創建され当初は天台宗のお寺として高根町にあったが、後に甲斐源氏の館跡である現在地に移転し曹洞宗に改宗しました。 場所は中央自動車道須玉ICから国道141号を清里方面に上ってすぐ左側に見えます。

若神子城址(若神子ふるさと公園:須玉町)

■所在地:北杜市須玉町若神子 ボタン グーグルマップへリンクします。
新羅三郎義光が京の都から甲斐に移って始めて居館を構えたところと伝えられ、現在、城跡は市民の憩いの場所として公園として整備されています。 武田信玄は若神子城でたびたび陣立てを行ったと伝えられ、信濃攻略のための軍道である「上の棒道」もこの城域を通過しています。  園内には信玄が軍略上の伝達手段として用いた烽火(のろし)台が復元されています。

平賀源心の墓

■所在地:北杜市須玉町若神子649-1 ボタン グーグルマップへリンクします。
 天文5年(1536)、信玄が16歳の時に信濃海ノ口城主平賀源心を倒した。 源心の首塚が須玉町の若神子にあります。 北杜市須玉総合支所から徒歩で10分ほどのところです。

増 富(須玉町)

■所在地:山梨県北杜市須玉町 ボタン グーグルマップへリンクします。
ラジウム温泉郷で有名な増富は信玄の隠し湯として知られ、また増富金山があった地としても知られています。 信玄は甲州金を鋳るために数千人の人夫を送り込み採掘させたといわれ、当時この地には金山千軒(カナヤマセンゲン)と呼ばれるほどにぎやかだったそうです。

信玄の狼煙(のろし)ネットワーク (須玉町)

若神子公園に復元された狼煙台戦国時代に武田氏が築いた烽火台の大伝達網(ネットワーク)は、信玄の居城であった府中(現甲府市古府中町)の躑躅ヶ崎(ツツジガサキ)館を中心に現在の長野県・埼玉県・静岡県・神奈川県方面に張り巡らされていたようです。 武田信玄は、川中島の戦いの時にはこの烽火台ネットワークを用いて信濃の海津城から甲府の躑躅ヶ崎の館までの約160km を2時間ほどで上杉謙信率いる軍勢の進出を知らせたと伝えられています。
須玉歴史資料館ホームページの狼煙の解説を参照してください。

山本勘助の墓(高根町) ≫大きな画像

■所在地:山梨県北杜市高根町蔵原 ボタン グーグルマップへリンクします。
山本勘助の墓 蔵原地区にある高根クラインガルテンの北にある民家に丸い石塔があり、勘助の墓と伝えられる。 勘助の墓は長野市や愛知県など県外にもあり真偽のほどは定かではないが、勘助の足跡を示すものです。 ※ 現在一般公開はしておりません

2、歴史名所 市外・県外(代表的なもの)

穴山氏(韮崎市)

穴山氏(穴山信君アナヤマノブキミ)は武田氏の一族で武田二十四将の一人。 

能見城(韮崎市)

JR中央本線穴山駅の近く、県道沿いの岩山に「能見城跡」の文字看板が見えます。信玄の家臣守屋新兵衛尉定知(モリヤシンヘエノジョウイサダトモ)の居城と言われる。

新府城址(韮崎市)

武田家最後の武将武田勝頼の城。勝頼は、天正9年(1582)に築城し甲府の躑躅ヶ崎(ツツジガサキ)から移ったが、織田信長の嫡子信忠に攻められ城を捨てたと伝えられる。
リンク≫富士の国やまなし観光ネット新府城の案内ページを参照してください。

武田八幡宮(韮崎市)

武田氏の始祖武田信義が建立、武田氏の守り本尊が祀られている。現存する本殿は信玄が再建(1541)したもので、また、入口の鳥居は山梨県の重要文化財に指定されている。
リンク≫韮崎市観光協会ホームページ歴史施設巡りコース

宗泉院(ソウセンイン:韮崎市)

山本勘助の供養塔がある。
リンク≫富士の国やまなし観光ネット宗泉院の案内ページを参照してください。

信玄堤(甲斐市)

甲府盆地を襲う洪水を防ぐため、信玄が築いた石積みの堤防。
リンク≫甲斐市ホームページ≫「文化財」の一覧から「信玄堤」を参照してください

善光寺(甲府市)

信玄が川中島の戦いのとき、信濃善光寺が火災にあって消失するのを恐れて仏像を移し建立した寺。 東日本最大級の木造建築物で、善光寺本堂・善光寺山門・銅造阿弥陀三尊・木像阿弥陀三尊は国の重要文化財に指定されている。 建物は再建されたもの。
リンク≫甲斐善光寺のホームページ
    ≫甲府市観光ガイド「信玄公ゆかりの場所」を参照してください。

武田神社(躑躅ヶ崎館跡)

ツツジガサキの館は武田氏三代(信虎、信玄、勝頼)が居を構えた館。国指定史跡。現在は武田神社の境内だが石垣や掘の遺構が残る。
リンク≫武田神社ホームページ
    ≫甲府市観光ガイド「信玄公ゆかりの場所」を参照してください。

恵林寺(エリンジ:甲州市塩山)

信玄公の菩提寺。桜の花見場所としても有名。
甲州市のホームページ観光情報の塩山恵林寺の案内を参照してください。

海ノ口城址(長野県南牧村)

天文5年(1536)信玄が16歳の時に信濃海ノ口城主平賀源心を倒した。信玄の初陣の戦いでした。尚、平賀源心の墓は北杜市須玉町の若神子にあり、今も墓石がありますが真偽のほどは定かではありません。
南牧村ホームページ「南牧の歴史」の案内ページを参照してください。


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