北杜市の文化財紹介(31)~(35)

  1. (31)諏訪神社本殿 附棟札1枚本社拝殿再建諸色勘定帳1冊
  2. (32)山梨県指定天然記念物 養福寺のフジ
  3. (33)向山遺跡
  4. (34)山梨県指定天然記念物 鳥久保のサイカチ
  5. (35)山梨県指定天然記念物 小淵沢町・白州町のトウヒ属樹根化石

(31)諏訪神社本殿 附棟札1枚本社拝殿再建諸色勘定帳1冊

所在地:白州町下教来石
指定年月日:昭和43年12月12日 山梨県指定有形文化財(建造物)
掲載:広報ほくと2008 3月号 No.41 p.22

しもきょうらいし諏訪神社1

下教来石(しもきょうらいし)諏訪神社(諏訪神社だけですと市内各地にありますので便宜的に所在地の名称を付けて呼びます。)諏訪神社は白州町の旧甲州街道沿いにありましたが、国道20号線改修工事のため昭和41年に現在地に移転しました。神社は拝殿と幣殿(へいでん)、その奥の覆屋(おおいや)の中に本殿が並びます。本殿建築は諏訪立川流二代、立川和四郎富昌の作品として有名です。
和四郎富昌は初代和四郎富棟の息子で、彫刻については富棟よりも精巧で、中国の古典に題材を取った人物彫刻を得意としました。富昌は千葉や京都などの遠方でも多くの神社建築に関わり、この富昌により諏訪立川流神社建築が確立したともいわれています。


しもきょうらいし諏訪神社2

本殿の構造は一間社流造(いっけんしゃながれづくり)で、屋根は柿葺(こけらぶき)、正面に唐破風付(からはふつき)の向拝(こうはい)を設けています。彫刻の見事さは実際に見ていただくしかありません。富昌が下教来石諏訪神社を天保三年に請負ってから同十五年の竣工に至る時期に工期が一部重なっている仕事は須玉町海岸寺観音堂(北杜市指定文化財)をはじめ11の建築を数えます。当然工事は分業体制となり、富昌が彫刻制作、建築の総指揮をする中で、地元の大工の多くも関与したことと推察されます。
この神社建築の見事さは下教来石の甲州街道の宿場としての繁栄を如実に物語ります。


(32)山梨県指定天然記念物 養福寺のフジ

所在地:高根町箕輪991
指定年月日:平成元年4月19日
掲載:広報ほくと2008 5月号 No.43 p.26

養福寺のフジ1

フジはマメ科のツル性落葉木本で、5月中旬頃に淡紫色の花を房状に垂れ下げて咲かせます。公園などでも藤棚に仕立てられたものをよく見かけます。フジにも幾つか種類がありますが、一般にフジと呼ぶのはノダフジのことで、本州から九州までの暖かい地域に分布します。フジは規模の大きな老木ではその木の性質から樹幹が何本かに分裂し、中心部は腐朽欠損してしまいます。
さて、この養福寺のフジは、寺の裏手にあり、隣接する樹高30mにも及ぶシラカシや、スギの頂部まで巻き上がり、最盛期には東西20m以上、南北10m以上にもわたる広がりを見せ、花の時期には棚造りでは味わえない壮観な自然美が展開されました。


養福寺のフジ2

最近では山野に自生するフジを多く見かけるようになりましたが、フジは他の樹木の上部を覆い、光合成を妨げるほか、長い時間をかけて幹を変形させます。そのため、巻き付かれた木は立ち枯れたり、樹形が変形して材として利用できなくなります。皮肉な話しですが、春先、私たちの目を楽しませてくれる山野のフジの花は、その山林の荒廃を表しているといえるのです。


(33)向山遺跡

掲載:広報ほくと2008 6月号 No.44 p.19

向山遺跡1

向山遺跡は須玉町小倉(こごえ)地区にあります。斑山(まだらやま)の西側斜面に立地し、平成15・17年度に農道整備事業に伴い発掘調査が行われました。
この遺跡の特徴は、五輪塔や宝篋院塔(ほうきょういんとう)など多数の石造物とともに中世の墓地が発見されたことです。石造物は、五輪塔の火輪(かりん:笠の部分)や地輪(ちりん:台の部分)など各部位に分かれていましたが、それらが800点以上も出土しました。発掘調査でこれほど多くの石造物が出土した遺跡は県内では他にありません。その多くは小型のもので、主に15~16世紀のものと考えられます。


向山遺跡2

お墓以外にも、お堂と思われる建物跡や荼毘所(だびしょ)と呼ばれる火葬施設、石列状や石垣状の遺構も確認されています。それらの遺構に五輪塔が再利用されていて、供養のために建てた五輪塔が本来の目的以外にも使われたようです。
墓地は調査範囲外にも広がっているので、大規模なものになると思われます。中世の墓制を考える上で貴重な発見例となりました。


(34)山梨県指定天然記念物 鳥久保のサイカチ

所在地:北杜市長坂町中丸3954‐1
指定年月日 昭和45年10月26日
掲載:広報ほくと2008 7月号 No.45 p.24

鳥久保のサイカチ1

サイカチは日本固有種のマメ科の落葉高木で、本州、四国、九州の山野や川原に自生しています。幹や枝にはするどい棘(とげ)が密生しています。花は雌雄(しゆう)別で初夏、5~6月に咲きます。秋には長さ20~30cmで曲がりくねった灰色の豆果をつけ、10月に熟します。豆果(とうか)は生薬(しょうやく)として用いられるほか、その皮はサポニンを多く含むため昔から洗剤として使われていました。棘も漢方薬として利用され腫れ物やリウマチに効くとされています。
さて、本樹は長坂町中丸字鳥久保に所在します。鳥久保地域開拓の祖と伝えられる今川義元の家臣であった井出久左衛門がこの地に定住して、屋敷の北西にエノキ(江戸末期に枯死)、南東にサイカチを植えたと伝えられています。規模は地上1.3mでの幹の周囲が5.2m、樹高は10.1mを測り、サイカチとしては稀に見る巨木です。根本付近の幹にはこぶや枯損部が見られますが、樹勢は旺盛で、古木にふさわしい風格を持った木です。


鳥久保のサイカチ2

サイカチはクヌギやコナラと同様に樹液を出すので、樹液食の昆虫、カブトムシやクワガタムシなどがよく集まります。子どもの頃、カブトムシ採りたさにスズメバチを恐る恐る追い、そっと手を伸ばすのですが、堅い棘を手に刺したり切り傷を作ったりしたという記憶のある大人も多いのではないでしょうか。


(35)山梨県指定天然記念物 小淵沢町・白州町のトウヒ属樹根化石

所在地:北杜市考古資料館・尾白の森名水公園
指定年月日:平成9年12月25日
掲載:広報ほくと2008 8月号 No.46 p.28

トウヒ属樹根化石1

昭和57年8月の豪雨により釜無川の国界橋の下流部が洗掘されて出現した泥炭層の中からトウヒ(唐檜)属樹の根の化石が発見されました。このトウヒ属樹根化石の年代は、出土した地層から約14万年前の氷河期、そのピークを迎えるリス氷期と考えられています。
氷河期は現在の平均気温よりも約6℃も低かったことがわかっています。この6℃の気温差の中ではどのような世界が展開していたのでしょうか。この時代、日本海は湖のように閉ざされ、日本列島は南と北で大陸とつながっていたと考えられます。日本列島にはまだ人類が到達していなかった時代、無人の寒冷な大地を想像してみてください。


トウヒ属樹根化石2

トウヒ属はマツ科の常緑針葉樹で、北杜市内では高山帯に八ヶ岳トウヒ、ヒメバラモミなどトウヒ属が僅(わず)かに分布していますが、これらは彼方の氷河期から世代を越えて生き残ったものといわれています。


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